嘘をつき続けないと飛べない

嘘をつき続けないと飛べない

嘘をつき続けないと飛べない
— パイロットと心理安的全性の崩壊

これは「パイロットが嘘つきである」という意味ではありません。むしろ、パイロットが抱える心理的不安を象徴的に表した言葉です。

パイロットは狭き門を通過し、厳しい訓練に耐え、責任ある職責を担っています。しかし、その特殊な環境ゆえに精神的な負担を抱える人が一定数存在するという現実も、同時に知っておく必要があります。

今回の参考リンクにもあるように、「心療内科へ行くと航空身体検査で問題になる可能性がある」「相談しただけで飛行停止になるかもしれないという恐怖」「同僚や会社に知られることへの恐れ」など、さまざまな不安が存在します。

その結果として「相談しない」「隠す」「限界まで耐える」という負の連鎖に陥り、退職、出勤拒否、精神崩壊、そして最悪の場合には自殺という結末を招くことさえあるのです。

なぜ航空業界では「弱さ」が許されないのか

航空業界は非常に興味深い産業です。技術の進歩や法制度の整備、運航管理の合理化などは常に行われてきました。それらは結果として参入障壁を以前より下げることにも繋がり、競争を生み、業界の流動性を高めることにも寄与してきました。そしてその流れは、航空業界全体の発展に大きく貢献してきたと言えるでしょう。

しかしその一方で、パイロットを取り巻く世界では「表面的なCRM」「中身の伴わない社内教育」などが形式的に行われることも多く、本来必要とされる心理的ケアや精神的なサポートは見落とされてきた側面があります。

また長年にわたり、航空業界はパイロットに対して「完璧性」「判断力」「責任」を求め続けてきました。これらは本来、安全を守るために必要な文化として形成されてきたものです。

しかしその価値観は次第に、技能や判断力だけでなく「人格の完全性」まで求める空気を生み出していきました。本来は安全文化として必要だった価値観が、いつの間にか「弱さを見せてはいけない」という無言の圧力へと変化していったのです。

パイロットに求められてきた「神格化されたFICO」

本来FICOとは、アメリカの金融業界で用いられる信用スコアリングのことで、ローン審査などで個人の信用力を数値化する仕組みです。日本で言えばCICなどの信用情報機関に近い位置付けではありますが、実務的にはその役割や影響力は日本とは少し異なります。

このFICOスコアは非常に合理的な評価指標として知られています。しかし同時に「本来救われるべきだった人が救われない」という弊害が生まれることもあります。なお、ここで述べている内容はFICOそのものを否定する意図ではありません。あくまで一つの個人的な視点としてお聞きください。

私はこのFICOと航空業界の評価構造は、どこか似ているのではないかと常日頃感じてきました。なぜなら、このようなスコアリングは「人間を完全に評価することはできない」という前提を持っているからです。

しかし航空業界では、いつの間にかそのFICO的な人格像が神格化され、一つの理想的なレールとして存在するようになってしまいました。

Finest = 常に完璧でなければならない
Integrity = 弱さや余白を見せてはいけない
Commitment = 人生より仕事を優先するべき
Omnipotent = 常に正しい判断をする存在

このように私は、これを良い意味でも悪い意味でも「パイロットFICO」として捉えています。

要するに、本来人間が持つ「人格資本」や「社会への貢献意識」よりも、「理想像をどれだけ演じ続けられるか」が評価される構造が長年続いてきたのではないでしょうか。

だから嘘をつく

私はこれまで数社の会社経営をしてきましたが、その過程で多くのパイロットを採用してきました。元大手エアラインのグレートキャプテン、チャーター会社のパイロット、教官など、様々なバックグラウンドを持つ人たちです。

彼らを揶揄する意図はまったくありません。しかし共通して感じることがあります。それは「目に見えないベールに包まれながら、どこか本当のことを話していない」という空気です。

これを現場に置き換えると、不眠を隠す、不安を隠す、通院を隠すなどの行動として現れます。本来の社会であれば、

「昨日は全然眠れなかったなぁ」
「最近運動不足かなぁ」
「娘の受験があってさ…」
「最近ちょっと酒が増えていて」

こうした会話はごく普通のものです。しかしパイロットは、それを口に出したがりません。

これは倫理観やモラルの問題ではありません。むしろ今存在している制度そのものが生み出している Side effect(副作用) なのです。

「口は災いの元」。その空気こそが、航空業界に存在する見えない構造です。言い換えるならば、それは金融で言うところの 隠れたトランシェ構造 のようなものなのです。

本来あるべきパイロットFICOの使い方とは何か

ここまで「神格化されたFICO」という概念について説明してきました。しかし本来FICOという考え方は、人間を縛るためのものではありません。

本来のFICOとは、完璧性を求めるものではなく、むしろ人間としての成長を前提とした思想であるべきではないでしょうか。

Finest

愚直さ

Integrity

余白を持つ誠実さ

Commitment

自分と社会の両方への責任

Omnipotent

全能ではなく、学び続ける姿勢

つまり本来のFICOとは、

完璧な人間ではなく

進化する人間

を前提とした文化なのではないでしょうか。

心理的安全性が航空安全を守る

昨今、「心理的安全性」をテーマにした書籍は数多く出版されています。しかしその原典を辿ると、ほぼ必ず航空業界と医療業界の研究事例が登場します。

これはどちらの業界も権威性が強く、組織構造として階層性が根強く存在しているためです。そのため、組織の文化や意思決定構造を簡単に変えることができないという共通点があります。

パイロットは機械でもなければ神でもありません。人であるからこそ、相談できる環境、正直に話せる文化、他者を理解する文化、そして回復できる制度が必要なのではないでしょうか。

航空安全とは、完璧な制度や完璧な人間を作ることではありません。弱さを共有でき、そして共に成長していく余白を持つ文化こそが、本当の安全文化ではないでしょうか。

そしてそれこそが、現在世界中で問題となっているパイロット不足の本質的な原因にも関係しているのではないかと私は考えています。

この分析を読んでいる航空業界以外の方へ

もし身近にパイロットがいるなら、どうか特別な存在としてではなく、同じ目線で見てあげてください。

評価する必要はありません。批判する必要もありません。

ただ同じ社会を生きる一人の人間として見てください。

それだけで救われる人がいます。

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